本田圭佑、リバプール移籍の南野拓実にエール「絶対に成功してこい!」 https://t.co/zQ6ircfjvT #サッカー #football #soccer
— スポーツ報知 サッカー取材班 (@hochi_football) December 19, 2019
おめでとう! 楽しんでこいよ!絶対に成功してこい! @takumina0116
— KeisukeHonda(本田圭佑) (@kskgroup2017) December 19, 2019
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「おめでとう、楽しんで来い。絶対に成功しろ」
・彼の言う通り。
・おそらく彼はトライアウトを求めるはず。
・本田をずっとリバプールに欲しいと思っていた。
FIFA12-14のキャリアモードでは、いつも彼を最初に獲得していた。
・本田圭佑は間違いなくヒーロー。
ワールドカップの伝説。
彼のフロストチップ(髪型)は絶対に忘れない。
・我々はプレミアリーグで最も国際的?
・私は子供の頃、イングランドに住んでいて、ヒリンドンにあるアメリカンスクールに通っていた。
親友の一人がサッカーをしていて、彼は日本人だった。
本当に技術に恵まれた奴だった。
彼が理由で日本サッカーにのめり込んだ。
最初に好きになったのは、中田。
それから本田がやってきた。
本田は素晴らしかった。
2010年ワールドカップで彼は活躍した。
彼にはヨーロッパでもう少し活躍して欲しいとずっと思っていた。
今、日本サッカーは凄く良い。
南野がリバプールで大きなインパクトを残して、日本サッカーをさらに押し上げることを祈っている。
・↑本田のプレーは大好きだった。
日本語を7年勉強していたので、日本人選手には興味があったんだ。
ミランで良い調子でなかったことが残念。
でもFIFAでバロテッリ、エル・シャーラウィ、本田のスリートップでプレーするのは最高だった。
・本田圭佑が最初の日本人選手になるべきだった。
ベニテス政権下では、移籍市場の度に獲得寸前までいった。
・↑2010年ワールドカップ後の夏、「ラファ、このスペイン野郎!あの子と契約しろ!」と私は叫んでいたよ。
・↑2010年のワールドカップが始まる前から、ベニテスがいなくなるのはほぼ確定していた。
・↑あれは10年前、私が14歳の時だった。
ラファエルがいなくなると知ったのは、彼がタッチライン際にもう立たなくなった日だった。
・↑「奇妙だな。ラファは休暇中か、病気に違いない。」